シュトゥットガルト報告
           

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<第1夜・ヴァルキューレ>(29日)

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圧巻は何といっても8人のヴァルキューレ(戦乙女)が「ホーヨートーホー」と奇声をあげて岩山に集まって来る第3幕だ。冒頭の「ヴァルキューレの騎行」は、ベトナム戦争を描いたコッポラの名作『地獄の黙示録』でも使われた。リングだけでなく、ワーグナー全作品の中で一番有名なところだ。

シュトゥットガルトのリングは、その最大の見せ場で父と娘のディス・コミュニケーション(断絶)というメッセージをこれでもか、と伝えてきた。

何しろ舞台をヴァルキューレが飛び回る上段と、神々の長であるヴォータンがたむろする下段とにばっさりと区切ってしまったのだから、その意図は明らかだ。段差は約2メートルもある。最愛の娘ブリュンヒルデの命令違反に「追放」と怒る父と、姉の許しを請う娘たちは、最後まで同じ舞台で向かい合うことはなかった。それだけでない。上段に据えられたカメラが娘たちをとらえ、下段に据えられたテレビがその姿を映しだし、ヴォータンは映像に語りかけるのだ。ここまでやればいくら異国の劇場でも意味はすぐ分かる。

断絶メッセージは、ヴォータンと最愛の娘ブリュンヒルデとの対話になって最高潮に達する。「私のした罪は、こんな恥ずかしい罰を受けるほど恥ずべきものだったのでしょうか」。娘は怒る父に、あなたの真意を思った上での抗命だったと切々と釈明する。父は動揺する。しかし、いったん下した家長の決断は変えることができない。断腸の思いで「さらば勇気ある輝かしき子よ。我が聖なる誇りよ」と惜別の辞を歌い上げる。音楽から父親の深い愛情が胸に伝わってくる。

ところが、驚いたことにこの感動的な場面も、父はテレビを通じてしか娘と語り合えないのだ。しかも、テレビの映像をよく見ると、何と数分前のビデオを流しているではないか。つまり、ヴォータンはブリュンヒルデとの別れを惜しみながら、実は過去の映像に語りかけているのだ。こんな場面もあった。感極まった父は娘を直接触れることはできない。このため娘の映っているテレビを抱きしめ涙した。まさに二重三重に切断されたコミュニケーション。生半可な断絶ではない。

でも、愛する者や親子でも思いが伝わらないのは、そう珍しいことではない。日常の風景といってもよいのかもしれない。ワルキューレの演出を担当したクルストフ・ネルはこうした断絶がますます深化して、コミュニケーションが成り立たなくなると言いたいのだろう。

実はネルのこの演出、あんまり評判がよくなかった。同行の山崎助教授は「いくら娘との断絶といってもあそこまで見せられると、言われなくても分かってるよと言いたくなる」と評した。確かに俳句の世界でも季語と句の眼目が余りにはまると「付き過ぎ」と言われ、余韻が残らないとされる。オペラ演出の場合も同じことが言えるんだろう。しかし、ドイツ語も分からず、音楽の素養もなく、リングを観た回数も少ない小生としては、このくらい露骨な演出でちょうど良いのかもしれない。

公演が終わった後、現地で小生らを迎えてくれた音楽評論家の来住(きし)千保美さんは「ヴォータンがテレビを抱くシーンを観ると涙が出る」と漏らしていた。父と娘の間には永遠に理解できない部分がある。来住さんは来住さんなりに琴線に触れたのであろう。かく言う小生も実はヴォータンの余りにも惨めな姿に目が潤んでしまった。それは来住さんとは別の角度から見て、思い当たる節がいくつかあったからに他ならない。

  ▼今ここで駆け落ちせむと望の月

  ▼行く秋や娘を送る父ひとり

<梶本章  日本ワーグナー協会員・朝日新聞論説員>